ナリス化粧品初の中国人ゼネラルマネージャー 郭志虹氏
人気バラエティ番組で若手女優によって紹介された日本製日焼け止めスプレーが、中国ネットで話題を呼び、そのブランド名は「ナリス」。日本で豊富な人気を誇るこの化粧品ブランドの初となる中国人ゼネラルマネージャー、郭志虹氏に名古屋でインタビューを行った。本記事では、彼女のキャリアの背景、ナリス化粧品の発展の歩み、中国市場との関わりについて詳しくご紹介します。
企業理念と製品力の融合
ナリス化粧品は、1932年に創業者・村岡満義によって設立され、自社ブランド「ナリス」は「nourishment(栄養を与える)」を意味します。93年間にわたる企業の成長の理由を、同社の専務取締役髙木博氏は次のように分析します。「一つは製品力です。当社は、世界でも特に敏感なアジア人の肌に合わせた研究を進め、製品の安全性と有効性を高めてきました。」ナリスは国際化粧品技術者会連盟(IFSCC)の会合でも、四年連続で研究論文を発表するなど、世界のトップ企業と競争しています。
もう一つの理由は、精緻な企業理念です。「for others(人様のために)」という言葉が象徴するように、ナリスは多くの人々に安らぎと幸福を届けることを目指しています。この理念の核となるのは、中国の古典『論語』の教えです。創業者は、「自分がしてほしくないことは人にするな、自分がしてほしいことは相手にしてあげなさい」という教えを社員に伝え、顧客の美を通じて自らの幸せを感じるという温かい思いを培いました。
ユニークな製品開発
ナリス化粧品の研究のパイオニア的な役割を果たした村岡満義は、1937年にふきとり化粧水「ナリスコンク」を開発しました。この商品はスキンケアの常識を覆し、瞬く間に注目を集めました。澤見正祐氏は、「当時は『装う』ことがスキンケアの主流でしたが、余分な成分を取り除くという新しいアプローチを可能にしました」と説明します。現在では、ナリスのふきとり化粧水は国内販売シェアで9年連続No.1を誇っています。
さらに、ナリスは1984年に世界初のアルコール未使用のスキンケアブランド「マジェスタ」を発売し、品質の高さが駆動力となり飛ぶように売れました。ナリスは現在、新たにOEM事業を展開し、他社へ化粧品製造技術を提供するなど、成長を続けています。
郭志虹氏の挑戦と成長
日本に来た郭氏は、ナリスとの運命的な出会いを果たします。ビューティーアドバイザーとしての道を歩みだし、さまざまな職を経て、2015年にナリス ビューティ クリエイション カレッジで特訓を受けました。入社後も、家族と仕事の両立に奮闘し、自身のスキルを磨きました。
彼女の入社当初、発注ミスが起こり、大量の美白美容液が廃棄されましたが、その際もナリスは彼女に負担を求めることはありませんでした。彼女はこの経験を通じて、企業との信頼関係を築き、成長へのモチベーションを見出すことができました。
未来へのビジョン
郭氏の成功と成長は、チームでの信頼が大切であることを示しています。彼女が会社の提案に耳を傾け、自らの消費者の声を商品開発にフィードバックする姿勢は評価されています。課題を共に乗り越え、ナリスの輪を大きく広げることに寄与し、高い期待が寄せられています。
「将軍を目指さない兵士は良い兵士ではない」との言葉を胸に、郭氏はナリスのチームの最前線に立ち、顧客に安心と幸福を届け続ける道を選びました。彼女の生き方は、多文化の融合が生む成功の象徴であり、未来への希望が詰まっています。