高槻市の冬の風物詩:寒天づくり
高槻市の冬に欠かせない風物詩である「寒天づくり」が、令和8年1月28日に最盛期を迎えました。この伝統的な製法は江戸時代から続いており、今も高槻市内で唯一製造を行う株式会社タニチがその技術を守り続けています。
寒天づくりの起源は、江戸時代の天明7、8年(1787、8年)にさかのぼります。当時、高槻市出身の宮田半平氏が伏見で習得した寒天づくりの技術を故郷に持ち帰り、これがこの地域での寒天製造の始まりとされています。高槻市は、交通の便が良く、冬の寒冷な気候や広い土地が寒天生産に適しており、江戸時代後期には国内屈指の生産地として知られていました。
近年は生産量が減少していますが、株式会社タニチは伝統の製法を大切にし、冬の厳しい気候を利用した寒天づくりを行っています。同社の寒天づくりは、田能地区の特に寒さが厳しい場所で行われ、昼夜の寒暖差を最大限に生かしています。
毎年1月中旬からは海藻を煮て寒天成分を抽出し、その後不純物を取り除いて冷却し「ところてん」を製造します。そして、1月下旬からはこのところてんを「天日干し」で乾燥させる作業が始まります。この日は、吐く息が白くなるほどの寒空の下、タニチの福田耕平センター長が「天筒」と呼ばれる容器にところてんを入れ、押し出す「天突き」の作業を行いました。約12メートルの縦幅、1.5メートルの横幅の台がところてんで埋め尽くされ、昔ながらの「天日干し」の光景が広がりました。
この後、ところてんは夜間の冷気で凍り、日中は太陽の光で水分が蒸発するように約2週間にわたり「天日干し」が続けられます。一般的な寒天とは違い、こちらは自然の条件を利用して製造されるため、ひと味違う風味を楽しめます。福田センター長は、昨年の11月・12月に気温が高かったため、寒天が作れるか心配していたものの、年が明けて気温が下がり安堵しているとのことです。「伝統産業を絶やさないように、今後も寒天づくりを続けていきたい」と強い意欲を示していました。
高槻市の寒天づくりは、地域の風土、歴史、そして人々の手によって受け継がれてきた貴重な伝統文化です。冬の冷たい空気の中で、そこに込められた努力と情熱は、地元の特産品としての価値をさらに高めています。寒天づくりを通じて、高槻市が持つ温かい人々の情を感じることができる季節が、また一年続いていくことを期待しましょう。