10歳でアトレティコ契約から19年、夢を叶える留学支援の軌跡
ある少年が、夢の舞台でサッカーをプレーするためにどのように道を切り開いたのか。その物語は、10歳の時にアトレティコ・マドリードと契約した少年、宮川類さんの成長と挑戦の軌跡です。彼のストーリーは、ただのサッカー界の成功談ではなく、誰もが情熱を持って追い求めることの大切さや、困難を乗り越える勇気を教えてくれるものです。
夢の始まりは、叔父とのサッカー観戦
2006年12月、トヨタ・クラブワールドカップ決勝でのバルセロナ対インテルナシオナル戦。9歳の宮川君は、元Jリーガーの叔父と共にその瞬間を目撃しました。華麗なバルセロナのプレーに心を奪われ、「スペインに行きたい」という想いが芽生え、彼の人生が大きく動き出しました。
初めての挑戦:サマーキャンプ
家族の支援を受け、スペインでのサッカー留学が可能な会社を探し続けると、奇跡的に1社が受け入れてくれました。宮川君はアトレティコ・マドリードのサマーキャンプに参加。短期の体験を予定していましたが、最終日、約300人の参加者の中から選ばれてプロ契約を結ぶ運命に導かれたのです。契約期間の5年にわたって、生活や学費までクラブが負担してくれる待遇は、彼にとって夢のようなものでした。
サッカー留学の厳しい現実
しかし、夢見た華やかな舞台の裏には数々の困難が待ち受けていました。言葉の壁、言語もわからぬまま新たな環境に飛び込むことに、彼は「何もできない子供」としての孤独を感じました。私立の現地校ではすべてスペイン語での授業を受け、サッカー練習の疲れた身体で日々効率的に戦わなければなりませんでした。
人種差別という試練も彼に襲いかかります。アジア人としての苦悩は、精神的に重くのしかかりました。さらに、サッカー界では新たな才能を求める熱い競争があり、試合に出られない日々も続きましたが、彼は「クビになるまでやる」という覚悟を持ち続け、アトレティコの下部組織で6年間全力でプレーしました。
帰国後の気づきと指導者への道
16歳で帰国した後、彼は流通経済大学付属柏高校、慶応義塾大学SFCを卒業。帰国後から体感した日本の育成現場とスペインとの違いは、彼の指導者としての視点を変えていきました。スペインでは選手が自ら考え、プレーを選ぶことが当たり前とされていたのに対し、日本ではコーチの指示を優先する風潮が存在しました。
この経験から、宮川さんは「サッカーが好き」という選手の気持ちを最優先にする育成環境を日本でも増やすべきだと気づきました。そんな想いが、彼を指導者としての道へと導きました。
クラウドファンディングで再挑戦
大学時代には、プロ選手を目指すべく再びスペインに挑戦します。クラウドファンディングで資金を集めて複数のクラブのトライアウトを受けながら、彼はサッカー留学に関する情報の少なさを痛感します。この体験が、後に彼が立ち上げるビジネスの原点となりました。
海外サッカー留学支援の決意
彼は「指導する側」から「留学を支援する側」へと転身を決意します。22歳で個人事業として海外サッカー留学の支援を始め、2024年には法人化して株式会社ステイドリームグループを設立しました。現在は、スペインやドイツを中心に多くの選手を夢の舞台へと送り出しています。
多くの選手の挑戦を支える
彼の事業は、単独では成り立たず、現地スタッフの支援や選手の家族の信頼、受け入れてくれるクラブとのつながりがあってこそ。女子選手9名を含む累計13名がプロ契約を掴んだ実績は、彼の活動の成功を物語っています。
夢の実現のためのメッセージ
最終的に彼が目指しているのは、海外でのサッカー留学が特別ではなく、すべての選手の通常の選択肢になる未来です。彼は自らの体験を通じて、自信を持って挑戦することの大切さを語り続けています。夢を追うことは決して早く諦めてはいけないと、今も多くの若者にメッセージを送っています。