世界に愛され続けるロードスターの魅力とその開発秘話
毎週土曜日に放送されているBS日テレの番組『おぎやはぎの愛車遍歴NO CAR, NO LIFE!』は、今月から14年目に突入しました。特に10月5日に放送されるエピソードでは、ロードスターオーナーやファンにはたまらない内容が展開されます。この回には、マツダの元エンジニアであり、ロードスターやRX-7の開発に大きく貢献した貴島孝雄さんが再登場します。
貴島さんは初代ロードスターの開発に携わり、2代目からは開発主査を務めてきました。今回の放送では35周年を迎えるロードスターの歴史を振り返りながら、『Mr.ロードスターが語る!いとしのロードスターSHOW』というテーマで解説が行われます。
初代ロードスターとその衝撃
初代「ユーノス ロードスター」は1989年に誕生しました。バブル期真っ只中の日本でしたが、その存在はライトウェイト・スポーツカーの世界で革命をもたらしました。これまで40万台以上を売り上げ、現在もそのスピリットは4代目に受け継がれています。MCのおぎやはぎの小木博明さんは、発売当時の衝撃を覚えており、特にオープンカーでのドライブは良い思い出として語ります。
貴島さんは、初代が誕生するまでの苦労を明かし、先代の開発主査・平井敏彦さんの熱意がなければ今のマツダもなかったと語ります。初代ロードスターは、妥協を許さない開発姿勢の結晶であり、開発チームの魂が込められています。
ドイツ市場での評価
貴島さんが語る中で、特に興味深いのはドイツ市場での評価が真の実力を示すという哲学です。「ドイツ車はクルマと人のコミュニケーションが凄い」との意見に基づき、マツダは常に高品質なクルマを目指しました。貴島さんの願いは、いつの日かポルシェを超えるモデルを作り出すことでしたが、ロードスターはすでにその一歩を踏み出し、世界的なヒットを記録しました。
この歴史的なスポーツカーは、他のメーカーにも大きな影響を与え、特にBMWからは感謝の言葉を受け取ったと貴島さんは明かします。国産他社が追随したものの、ほぼ壊滅状態でした。このストーリーは、35年間も愛され続けるロードスターという1台の象徴性を強調しています。
愛される理由
貴島さんは、「お手軽に造ったクルマはダメ」と言い切ります。流行を意識して造っただけでは真の成功には繋がらないとしっかりとした意見を持っています。それを受けて、矢作兼さんも同意し、業界の厳しさを実感しています。実際に、他社からの開発を進めるための説得方法を聞かれることもあるようです。それについて貴島さんが授けたアドバイスとはどのようなものでしょうか。
このように、BS日テレの『おぎやはぎの愛車遍歴』は、ただのクルマの紹介ではありません。あらゆるエピソードに込められた開発者たちの思いと情熱が、視聴者の心を打ちます。次回の放送をお見逃しなく!