猪熊弦一郎展画業の礎-美校入学から渡仏まで
香川県丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館では、2025年1月26日から3月30日まで「猪熊弦一郎展画業の礎-美校入学から渡仏まで」が開催されます。この展覧会は、画家猪熊弦一郎の20代・30代の創作活動に焦点を当て、彼がどのようにして自身の芸術世界を築いていったのかを探ります。
展覧会の背景
猪熊弦一郎(1902-1993)は晩年、自身の作品に多様な形と色を融合させ、目を引くような革新的なスタイルを確立しました。しかし、彼がこのような独自の表現に至るまでには、多くの試行錯誤が伴いました。当展覧会では、東京美術学校への入学から初めての海外渡航までの猪熊の足跡を振り返ります。
若きアーティストの奮闘
特に注目すべきは、猪熊が著しく若いアーティストの育成を重視していた点です。2022年に始まった公募展「MIMOCA EYE」は、猪熊の思想を体現する試みです。本展では、猪熊自身の画業を振り返るとともに、現代の若手アーティストたちの表現力や創作意欲を紹介します。
時代を映し出す作品
展示の中には、猪熊が1936年にベルリンオリンピックの芸術競技に出品した版画《射的》も含まれています。この作品は、当時のナチス政権下での文化的背景を反映しており、歴史的な価値も持つものです。また、他の作品からも、戦時中の厳しい時代を生き抜いた猪熊の画家としての奮闘が見えてきます。
本展のポイント
藤島武二の指導
猪熊は東京美術学校で藤島武二のクラスに在籍しました。藤島は「デッサンが悪い」という一言で学生を去り、その言葉は猪熊にとって大きな影響を与えました。この教えを通じて、猪熊は絵画の本質に目覚め、自己表現の探求を深めていくこととなります。
新制作派協会の設立
1935年、日本の美術界における挙国一致の動きに反対し、猪熊は新制作派協会を仲間たちと共に設立しました。この団体は、より自由な芸術表現を求めるものであり、猪熊は自身の作品を発表する場としました。
マティスの教え
1938年、猪熊はフランスに渡り、巨匠アンリ・マティスに指導を受けます。「お前の絵はうますぎる」との言葉は、彼に自己を見つめ直させる重要な教訓となり、以後の作品づくりに多大な影響を与えました。
企画イベント
展覧会期間中、様々な関連プログラムが用意されています。「キュレーター・トーク」では、本展の担当キュレーターが展示の見どころを詳しく解説します。また、2月1日・2日は「親子でMIMOCAの日」として、高校生以下の観覧者は無料で入場できる特別イベントも開催されます。
終わりに
猪熊弦一郎展は、彼の若き日の探求と創作活動を通じて、観覧者に深い感動と思索の旅を提供します。美術館の洗練された空間で、彼が追求した「美」とは何かを共に考えてみてはいかがでしょうか。