がっつり迫るGT-Rの魅力!おぎやはぎの愛車遍歴特集
4月18日(土)夜9時から、BS日テレにて放送される「おぎやはぎの愛車遍歴」では、車好きにはたまらない内容が盛りだくさん。今回のゲストは、日産GT-Rの開発責任者を務めた水野和敏さんです。
GT-R開発のきっかけは日本のファン
水野さんのGT-Rに対する情熱は、1995年のル・マン24時間レースでの出来事にさかのぼります。熱心な日本のファンたちの声援に触発され、市販車でフルカーボンのレーシングカーに勝つことを目指して開発をスタートさせました。開発メンバーは通常の半分ほどの50人で、予算も最小限。その中で水野さんがどのようにして高性能のGT-Rを実現させたのか、その舞台裏に迫ります。
驚きの少数精鋭開発チーム
開発は多忙を極める日産の環境の中で進められていましたが、水野さんは意外なエンジニアたちを選びました。不況で早期退職を募っていた業界から、退職したエンジニアたちをチームに加えたのです。これがGT-R成功の鍵だったと水野さんは述べています。彼らは乗用車の開発経験がなかったにもかかわらず、逆に新しい視点がプロジェクトを進化させ、イノベーションを生み出しました。おぎやはぎの二人もそのマネジメント手法に感心した様子でした。
ベンチマークとなる名車との競争
GT-Rの開発は実はドイツで行われ、開発者たちは名車をベンチマークに選びました。その名車の存在を意識しつつ、GT-Rを世界に轟かせるための施策が取られました。水野さんは「名車の本場でそれを超える速さを証明した」と胸を張ります。GT-Rの成功は、彼のブランディング戦略のおかげでもあります。
世界的ブランドを築いた水野流宣伝術
GT-Rの販売開始後、伝統的な手法である紙のカタログは作成せず、代わりに新しい宣伝手法を駆使しました。水野さんは、写真を使わずにブランドを構築する挑戦を貫き通します。この哲学は、GT-Rの誕生に対する深い思いを示しています。彼の情熱がGT-Rをただの車以上の存在にしたのです。
放送では水野さん自身が語るGT-R誕生の背景や開発秘話、さらには彼が注いできた情熱が明らかになる予定です。「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」のこのエピソードは、見る人にとって車の魅力を再発見させてくれることでしょう。