ホンダのエンジニア話
2025-02-21 12:31:28

ホンダの名車とエンジニアの苦悩に迫る!おぎやはぎの愛車遍歴特集

技術と歴史を語る「おぎやはぎの愛車遍歴」



BS日テレで放送中の「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」では、愛車にまつわる人生の物語を探る魅力を届けています。2月22日(土)放送の回には、ホンダで長年エンジン開発を担ってきた浅木泰昭さんがゲストとして登場します。ホンダコレクションホールから振り返るのは、ホンダが誇る数々の名車や技術革新の歴史です。

浅木泰昭さんの挑戦と懐かしい名車たち



浅木さんは、N-BOXやオデッセイの開発を手がけただけでなく、F1パワーユニットの開発責任者としても著名です。彼の技術屋としてのキャリアには、数多くの驚くべきエピソードが詰まっています。今回の放送では、ホンダミュージアムの魅力とともに、苦労した開発秘話が語られる予定です。

番組の中で、浅木さんはホンダの原点とも言える自転車にまつわる話を披露します。驚くべき生活用品が使われたこの自転車は、戦後のモノ不足の時代を映し出す一台でした。この時期のホンダ創業者、本田宗一郎の技術者魂や熱き情熱が色濃く表れています。

本田宗一郎とエンジニアの信念



1963年にホンダは初の四輪車である軽トラックのT360とスポーツカーのS500を世に送り出します。これには本田宗一郎自身の強い意志が反映されており、当時の相次ぐ法律に対しても彼は痛烈な抗議を行いました。浅木さんは、当時の情熱とその影響力の大きさを率直に打ち明けます。

N360という名車は、初めての軽乗用車として爆発的な人気を博しました。この成功が、ホンダの自動車メーカーとしての地位を固める契機となったのです。

ホンダ1300に秘められた激震の歴史



69年式のホンダ1300は、開発過程において宗一郎と若手エンジニアの間で激しい衝突があった名車です。このエピソードは、宗一郎の信念の強さと、その後のホンダの歴史に与えた影響を示唆しています。MCのおぎやはぎ・矢作兼は、深い話に感動の声を上げる瞬間が放送で見られるでしょう。

1964年には、ホンダがF1活動をスタートし、87年には製造者部門とドライバー部門でのダブルタイトルを獲得します。浅木さんもその黄金期に関与し、彼の青春の1部であり無類の誇りであるF1マシンに対する思いを語ります。

現代の課題とEV化の未来



最後には、浅木さんが開発者として経験した苦労話も共有。技術者との絆や、涙を流した瞬間も感動的に描かれます。また、自動車業界がEV化されていく現在に思うことを語り、未来についての展望も伺えます。

番組は毎週土曜、夜9時から放送中です。「愛車遍歴を辿れば、その人の人生が見えてくる」というテーマの下、素晴らしい物語が待ち受けています。


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