台湾半導体の成功の裏にある戦略と教訓
2025年6月に公開予定の特集「台湾有事×産業戦略」では、台湾半導体業界の牽引役であるTSMC(台湾積体電路製造)に焦点を当て、その成功の背景にある国家的賭けや教訓が掘り下げられます。本記事では、その内容を詳しく紹介します。
TSMCとドキュメンタリー映画『造山者』
特集の一部として、私は新竹にある映画館でドキュメンタリー映画『造山者―世紀的賭注』を観ました。この作品は、半導体業界における宝貴な教訓を提供しており、その重みは特筆に値します。監督の蕭菊貞氏が5年間にわたり80人以上のキーパーソンに取材し、台湾の半導体産業が“砂漠”から“シリコン島”へと変貌する過程を、経済史と人間ドラマの両面から描いているからです。
台湾が歩んだ半導体の道
1970年代、台湾は低付加価値のOEM産業に依存する“技術空白地帯”として知られていました。この変化には、制度整備や人材の育成、そして国家の使命感が不可欠でした。1976年、ITRI(工業技術研究院)が米RCA社との技術移転契約を締結。ここで派遣された若手エンジニアたちは、帰国後に自国の半導体業界発展に寄与することとなります。彼らがIC製造用のモデル工場を短期間で成功させたことは、台湾の技術力の向上を示す重要な事例です。
水平分業モデルの採用
TSMCが採用したファウンドリ専業モデルは、当時の業界から「異端」とされました。自社ブランドを持たず、顧客ごとの製造に特化するこのアプローチは、現代のAIやスマートフォン、自動車産業などでの成功に欠かせない存在となりました。この戦略により、台湾は柔軟性と国際協調を兼ね備えた産業構造を構築しました。
台湾の半導体産業と地政学
映画の中では、TSMCが新型コロナの影響での供給網の混乱や米中のハイテク覇権争いを乗り越え、国際的な圧力の中で中心的存在へと成長する過程が描かれています。今や台湾の半導体産業は「供給の論理」から「安全保障資産」へと変わり、国家の存立基盤として技術が重要視される時代を迎えています。この変化は、単なる経済戦略ではなく、国家のアイデンティティとも結びついていることを示しています。
賭ける者たちとその影響
映画の終盤では、TSMC創業者・張忠謀氏の決断が強調されます。彼が55歳で台湾に渡り、未知の製造業に人生を賭けたことが、今の台湾半導体産業の礎となることを理解します。「中華民国にとってVLSI(超大型集積回路)は、高コストで長期的な賭けである」と彼が提言したように、台湾の成功は国家の賭けの結果でもあるのです。
日本が問うべき問い
この特集が示すように、台湾の“造山者”たちは、未来のために何を賭けるのかという根源的な問いに直面しました。日本が「次のTSMC」を目指すなら、経営者は何を社会に残すためにどのような決断をするのか、真剣に考えなければなりません。台湾の成功には、強い覚悟と戦略が必要であることが、今一度問われています。