『逃亡者狂騒曲』上映会
2024-07-03 14:59:31

台湾映画『逃亡者狂騒曲』デジタルリマスター版上映会レポート:世紀末の虚無感を映し出す伝説の映画

台湾映画『逃亡者狂騒曲』デジタルリマスター版上映会レポート:世紀末の虚無感を映し出す伝説の映画



6月29日(土)、台北駐日経済文化代表処台湾文化センターにて「台湾文化センター 台湾映画上映会2024」映画『逃亡者狂騒曲 デジタルリマスター版』上映会トークイベントが開催されました。

本上映会で唯一のデジタルリマスター版上映となる『逃亡者狂騒曲 デジタルリマスター版』は、1997年にベルリン国際映画祭に選出されながらも公開数日で打ち切りになった、世紀末の虚無感を荒々しく実験的なスタイルで捉えた“伝説の映画”です。

上映後には、台湾CM界を代表する存在となったワン・チャイシアン監督がオンラインで登壇し、ぴあフィルムフェスティバルディレクターの荒木啓子さんが会場に登壇してトークイベントが開催されました。

90年代のインディペンデント映画の隆盛と『逃亡者狂騒曲』



今年で46回目の開催となるぴあフィルムフェスティバル(PFF)は、映画監督の登竜門として知られています。実験的なスタイル、大胆で分裂的な映像言語を用いて、台湾ニューシネマとは全く異なるアプローチで台湾社会と若い世代を捉えた『逃亡者狂騒曲』は、90年代のインディペンデント映画の盛り上がりを背景に、時代を先取りした作品として評価されています。

荒木啓子さんは、1997年のベルリン国際映画祭で矢口史靖監督の『ひみつの花園』と『逃亡者狂騒曲』を観たことを振り返り、「ベルリンで『逃亡者狂騒曲』を観た時、台湾映画とは思わなかったんです。きっと海外にいる監督が、台湾を舞台に撮った作品なんだろうと思っていた」と語りました。

ホウ・シャオシェンとは異なる台湾の姿



ホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンといった台湾ニューシネマの監督たちの作品とは全く異なる『逃亡者狂騒曲』について、本上映会キュレーターのリム・カーワイ監督は、「いま観ても最先端をいっている」と、その衝撃の大きさを語りました。

ワン・チャイシアン監督が語る映画制作への思い



荒木啓子さんは、ワン・チャイシアン監督に対し、「新人監督とは思えない世界観ですが、映画を作るにあたってこれだけはやりたいと思ったポイントはなんだったんでしょうか」と質問しました。

ワン監督は、「1987年に戒厳令が解除されて、当時の台湾ではそれまで心に閉じ込められていたものが外に出せる状態になっていました。映画を作るのであれば、自分のやりたいことをやろう、CMとは違って制限を受けずに自分の思っていることを解放しようという思い」で、本作に挑んだと語りました。

夜に生きる若者たちを描いた『逃亡者狂騒曲』



昼に寝て、夜に生きる台湾の若者たちを主人公にしたことから、映画のタイトルは『蛾』になる予定だったそうです。荒木啓子さんは、「当時の台湾では、夜に生きる若者を描くような作品はなかったのか」と質問しました。

ワン監督は、「こういうタイプの映画は他になかったでしょう。私は元々他の人とは違う映画を撮りたい、他の人とは違う台湾らしい映画を撮りたいと思っていました。それは私が作ってきたCMにも共通しています。個人的には私が作ったCMは、この映画よりもいい出来だと思っていますよ」と茶目っ気たっぷりに答えました。

命懸けの撮影現場



街中で爆竹が響き渡るシーンや、夜の高速道路のシーンなど、スリリングな映像も本作の見どころです。「すべてのショットが素晴らしかったですが、よく死人が出なかったなと思うようなシーンも満載で…。みんな命懸けだったのでは?」と荒木啓子さんが撮影現場について質問しました。

ワン監督は、「元々カメラマン出身なので、多くのシーンはどうやって撮るかも自分でコントロールして、ドキュメンタリータッチに撮っていきました。ただ、いま観ると非常に危険でしたね。いまだったらこういう撮り方はできないと思います(笑)」と答えました。

主人公の“名前”と“手紙”が暗示するもの



NYでダンサーになることを夢みる主人公の元には、NYから度々手紙が届きますが、その差出人は明かされていません。「そもそもこの映画の主人公には名前すらありません。誰しもが当てはまるという暗示でもあります。手紙の差出人も、これも当時の台湾の人たちが、外の世界に対して持っていた想像や理想というものが描かれています。」とワン監督は語りました。

サプライズ登場!主人公チェン・ホンレン



「実は、その主人公を演じてくれたチェン・ホンレンが、今日ここに来ているんです。みなさん、彼に会いたいですか?」

ワン監督からのサプライズ発表に、会場は驚きとともに大きな歓声に包まれました。

少し柔和な印象になったチェン・ホンレンが画面に登場し、「こんにちは。まさか26年の時を経て、私にとってとても重要な作品である『逃亡者狂騒曲』が日本で上映されることに、とても驚いています。撮影を振り返ると、屋上の手すりを歩いたり、夜にバイクで爆走するシーンがあったり、大変な撮影ばかりでした(笑)。すべてがチャレンジングな経験でしたね。」と語りました。

映画出演後、売れっ子になった人々



チェンはいまも舞踏団「無垢舞蹈劇場」に所属し、ダンサーとしてヨーロッパや日本でも公演するなど活動を続けています。ワン監督は、「チェンはいまもダンサーとして活躍していますが、ライブハウスのシーンに出演していたバンド「濁水溪公社(LTKcommune)」も、映画出演後にとても人気がでました。ほかにもこの映画に出演してから、売れっ子になったひとは結構いたんですよ。」と目を細めました。

色と椅子の持つ意味



会場からは、赤や白といった色の対比による表現、主人公が集めている椅子が暗示しているものについての質問が出されました。

ワン監督は、「例えば赤という色は、心理的にもプレッシャーを感じる色です。日常生活の中で感じるプレッシャーや恐れ、それは台湾が感じているものでもあります。主人公は部屋に拾ってきた椅子を積んでいます。椅子というのは休憩する時につかうもので、心理的にはやすらぎを想像させます。それは彼の過去の記憶を表現しているのです。そうした表現の積み重ねでこの映画は作られています。」と答えました。

台湾映画の魅力



最後に台湾映画の魅力について問われた荒木啓子さんは、「私は台湾映画を観るようになってから、台湾に行くようになりました。その土地、人々が持っているまっすぐな感じがとっても好きです。日本は映画祭に参加する時は正装が当たり前。でも台湾の映画祭は、素晴らしい賞を獲った人も、えらい人もとてもラフな服装で参加する人が多くて、一緒によろこびを分かち合いましょうというやわらかい気持ちが伝わってくる。そういう気持ちをストレートに出せる台湾の空気感にとても感動します。そういう空気感が台湾映画の魅力を作っている気がします。自然体でまっすぐでいられる台湾の映画には、力強さがあって、そういう映画がこれからも残り続けるのだと思っています。」と語りました。

リム監督は「いますぐ台湾に行きたくなる!」と応じ、会場はあたたかい笑いに包まれました。


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