志太勤氏の逝去
2025-07-18 12:44:22

シダックス創業者・志太勤氏の逝去とその偉業を振り返る

シダックス創業者・志太勤氏の逝去とその偉業を振り返る



2025年7月9日、シダックス株式会社の創業者で顧問の志太勤氏が、うっ血性心不全により永眠しました。享年90歳。彼の生涯は、フードサービス業界に多大なる影響を与え、数々の事業を展開し続けた軌跡でもありました。

志太氏の経歴と初期のキャリア


志太氏は1934年、静岡県田方郡韮山町(現在の伊豆の国市)に生まれました。高校在学中の1952年、三島市の大衆食堂で初めて経営に関わり、1953年には韮山高等学校を卒業。1956年には冷菓製造事業を立ち上げ、起業家の道を歩み始めました。その後、1959年に「富士給食」としてフードサービス業を本格的に開始しました。

シダックスの成長と革新


1960年には法人化され、フードサービス業務を展開するため、東京都調布市に「富士食品工業株式会社」を設立。東京オリンピックにおいて、組織委員会からの食事提供業務受託は、業界での位置を確立する大きな契機となりました。また、1970年代には高層ビル内のカフェテリア方式を導入するなど、常にサービス業の革新を追求しました。

志太氏は、料理の質を向上させるために、さまざまな試みを行い続けました。1981年には「SLシステム」を導入し、効率的な食事提供を実現。これにより、食堂運営が劇的に変化し、全国の銀行支店などに展開することができました。さらに、病院給食事業への進出も果たし、温かく選べる料理の提供を実現した「シダックス・メディカル・カフェテリア」のプログラムは、医療現場における食文化の向上に寄与しました。

社会貢献と後世への遺志


志太氏は企業の成長だけでなく、社会貢献にも情熱を傾けました。地方創生に向けた取り組みや、教育機関への支援など、多岐にわたるものでした。彼の理念である「高い志が人を輝かせ、事業を創り、世界を変える」は、シダックスグループの精神的支柱となり、今でも社員一同が受け継いでいます。

志太氏は1997年に代表取締役社長職を息子の志太勤一に譲り、名誉会長として後進の育成にも力を入れてきました。彼の残した足跡は、フードサービス業界における多くの新しい理念や技術革新の源泉となっています。

お別れの会とその影響


志太氏の訃報に際し、通夜や告別式は近親者のみで執り行われました。後日、「お別れの会」の開催が予定されており、多くの方々が彼の功績に感謝し、最後の別れを告げることになるでしょう。

シダックスグループは志太氏の遺志を大切にし、次世代の子どもたちに向けた社会貢献を続けていくことでしょう。今後も彼の理念を胸に、社員全員で努力し、さらなる発展を目指していく所存です。


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