藤田観光の歴史
2025-12-15 15:23:56

藤田観光の歴史を振り返る特別企画、ホテル椿山荘東京その魅力とは

藤田観光の歴史と椿山荘東京の魅力



藤田観光株式会社は、宿泊、リゾート、婚礼事業などを行い、2025年11月7日には設立70周年を迎えます。その特別な年を前に、昭和100年イヤー企画の一環として、ホテル椿山荘東京の歴史を振り返る取り組みをスタートします。今年は昭和から続く名所の歴史を深く掘り下げていくことを目指し、特に「ホテル椿山荘東京」についての魅力やその背後にあったストーリーに焦点を当てていきます。

椿山荘のはじまり



椿山荘のルーツは趣深い南北朝時代に遡ります。当時この地域には多くの椿が自生しており、「つばきやま」と呼ばれていました。明治11年に、山縣有朋公爵がこの地を非常に気に入り、庭園と本邸を建設することに決め、「椿山荘」という名が付けられました。公爵は約40年間にわたりここに居住し、明治天皇や政財界の著名人たちを迎え入れました。そのため、椿山荘は歴史的な重要性を持つ場所となったのです。

大正7年には、二代目当主の藤田平太郎男爵がこの地を受け継ぎ、山縣公爵の意志を守りながら名園を保存することに尽力しました。彼は、庭園には文化財を豊富に配置し、日本の美を維持しました。

小川栄一の復興への挑戦



戦後には、藤田観光の初代社長・小川栄一が復興に乗り出しました。彼は、荒廃した東京に緑のオアシスを作ることを目指し、椿山荘に約1万本の植樹を行ったのです。藤田は、庭園を一般の人々に開放することで観光事業と社会貢献を融合させました。その結果、昭和39年には東京オリンピックを記念して国際ホールが建設され、大規模な催事が行える場所となりました。

「ほたる観賞の夕べ」の開催



昭和29年に始まった「ほたる観賞の夕べ」も、初代社長の思いを受け継いだ伝統行事です。「東京の子どもたちに蛍を見せたい」という願いから始まり、今や多くの人々に親しまれています。この行事は、ただの観賞だけでなく、庭園自体の整備や飼育にも力を入れています。

三重塔「圓通閣」の重要性



そして、椿山荘を語る上で欠かせないのが、三重塔「圓通閣」です。この塔は現在の椿山荘庭園のシンボルであり、今年で100周年を迎えました。もともとは室町時代に広島県で建立されたものですが、1925年に藤田平太郎の手によって移築されました。東京大空襲による危機にも遭いましたが、その後も無事であり、2010年には大規模な修復も行われました。

今現在、ホテル椿山荘東京ではこの三重塔の歴史を知る特別展示が開催されています。訪れた際には、ぜひ足を運んでみてください。

総括と今後の企画



藤田観光の「昭和100年イヤー特別企画」は、椿山荘の歴史を振り返ることで、昭和の魅力を次世代に伝えていくことを目指しています。今後も、時代を超えて様々な文化やイベントを展開し、訪れる人々が懐かしさを感じたり、新たな発見をしたりできる場を提供していくことでしょう。例えば、年末には東京雲海とオーロラに彩られた贅沢なビュッフェが楽しめるイベントも開催されます。さまざまな形で、訪れる人々を楽しませてくれるその日を、心待ちにしています。


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会社情報

会社名
藤田観光株式会社
住所
東京都文京区関口2-10-8
電話番号
03-5981-7722

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