グルメ杵屋の挑戦
2025-10-23 11:50:07

グルメ杵屋・椋本社長が語る挑戦と関西万博の手打ちうどん教室

日本初のうどん屋チェーン「グルメ杵屋」の挑戦



日本初のうどん屋チェーンとして名を馳せる「株式会社グルメ杵屋」。その代表取締役社長である椋本充士氏が、関西を代表するリーダーとして注目されています。関西万博のイベントにも参加し、大盛況の「手打ちうどん教室」を展開した彼の歩みと、ビジネス哲学に迫ります。

椋本社長のルーツと会社のスタート



椋本氏は1961年に大阪市で生まれ、両親はお米屋を営んでいました。彼の父親である彦之氏は、アメリカでのマクドナルドに衝撃を受け、うどん屋のチェーン展開を試みることに。1971年には奈良県に「杵屋一号店」をオープンし、オープンと同時に長蛇の列ができるほどの人気を誇りました。

椋本社長が受け継いだのは、単なるビジネスモデルではなく、父の言葉「お金儲けは髭さんを集めたらあかん!」という哲学です。この言葉には、利益追求だけでなく、顧客を大切にする姿勢が込められているのです。

挑戦し続ける経営の舵取り



大学卒業後、大和実業にてレストランの店長を務めた椋本氏は、29歳で実家のグルメ杵屋に入社。49歳で社長に就任する際、同社はリーマンショックの影響で2期連続赤字に苦しんでいました。その中で、彼が決断したのは社員教育費の増加でした。これは、従業員のスキル向上が企業の成長に不可欠であるとの思いからです。

椋本氏は社員教育の重要性を学生時代から痛感していました。リーダーとしての重責を担いながらも、職場の環境改善や社内の人材育成に力を注ぐことで、業績回復を果たしました。

大阪・関西万博と手打ちうどん教室



最近、椋本社長が注力しているのが「手打ちうどん教室」です。このイベントは大阪・関西万博の一環として行われ、約1万3000人が体験を楽しむ盛況ぶりでした。参加者が自らうどんを打つ体験から、生地の感触やコシの大切さを学ぶ機会となりました。

特に、福澤朗さんたちがスタジオでこの体験をする姿は必見です。生地をこねるときの真剣な表情が、視聴者にも多くの笑いを提供しました。教室の楽しさとともに、伝統的なうどんの製法が次世代に受け継がれていく重要性を感じました。

意外な事業展開と夢の実現



グルメ杵屋はうどんチェーンとしての評価を超え、機内食事業や大阪木津卸売市場の運営にも進出しています。特に、機内食は売上の約20%を占めており、ここにも椋本社長のビジョンが垣間見えます。

また、子供の頃からの夢であるダイビングにも情熱を注いでおり、月に一度は石垣島へ訪れるほど。飲食業とダイビングの意外な共通点を探求し、新たな発見を得る姿勢が彼の魅力です。

このように、「グルメ杵屋」の椋本社長の経営哲学と挑戦は、今後も多くの人々に影響を与えていくことでしょう。彼のようなリーダーの存在が、関西の未来を明るく照らしています。


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会社情報

会社名
テレビ大阪株式会社
住所
大阪府大阪市中央区大手前1-2-18
電話番号
06-6947-7777

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