Breaking界の快挙!
2025-11-21 14:07:57

マシーン原田氏が日本人初のBreaking殿堂入りを果たし、活動の歴史を振り返る

マシーン原田氏、Breaking殿堂入りの栄誉



11月16日、ニューヨークのマンハッタンで行われた「Breaking HALL OF FAME」の祭典で、マシーン原田氏が日本人として初めてBreaking殿堂入りを果たしました。この瞬間は、日本のストリートダンス界だけでなく、世界におけるBreaking文化の発展の証とも言えるでしょう。

Breaking HALL OF FAMEとは?



Breakingは1970年代にニューヨークで生まれた文化であり、その歴史の中で多くのアーティストが影響を与えてきました。Breaking HALL OF FAMEは、Douglas Colon “Dancin’ Doug”氏が創設した賞で、BreakingとHIP HOP文化に長年貢献してきた人物たちに贈られます。2021年に始まり、今年で5回目となるこの賞は、過去のユーザーたちの名を連ねた歴代受賞者が多くいます。

今回の式典では、個人やクルーを含む23組が選ばれ、1984年製作の映画『Breakin'』の主役である「TURBO」ことBOOGALOO SHRIMP氏も受賞しています。マシーン原田氏の受賞は日本人として初めての快挙で、今後日本のダンスシーンに新たな風を吹き込むことでしょう。

マシーン原田氏の栄光の軌跡



マシーン原田氏は、お笑いコンビ「99」の岡村氏が所属していた「ANGEL DUST BREAKERS」のリーダーとしても知られるB-boy界の第一人者です。彼は1983年に映画『フラッシュダンス』と『ワイルドスタイル』を観てブレイキンを始め、その卓越した技術で瞬く間に日本のトップB-boyとなりました。

1992年には日本初のストリートダンスプロモーションカンパニー「ADHIP」を設立し、『JAPAN DANCE DELIGHT』という世界最大級のストリートダンスコンテストの創設にも関わりました。さらに、1994年には日本初のストリートダンスのフリーペーパー『DANCE DELIGHT MAGAZINE』を創刊し、22年間にわたって発行し続けました。彼の功績により、多くのダンサーたちがその影響を受け、アジアのダンス界も活性化しています。

2000年にはドイツで開催された「BATTLE OF THE YEAR」のアジア初開催となる日本大会を運営し、その後韓国をはじめとするアジアのダンスシーンをサポートしていきました。61歳になる今も、マシーン原田氏は現役で踊り続けており、彼の情熱は衰えることを知りません。

受賞に寄せる想い



受賞式でマシーン原田氏は、受賞のコメントをした中で、「こんな賞をいただけてとても誇りに思います」と述べ、42年間続けてきたブレイキンに対する思いを語りました。若い頃の彼はダンスそのものに夢中でしたが、現在はダンスシーン全体に夢中であり、ブレイキンをライフワークとして続けることができていることを幸せに感じている姿が印象的です。

彼の受賞は、Breakingが誕生したニューヨークでの出来事であり、まさに夢のような瞬間でした。若い世代にも、彼のように情熱を持ってダンスに取り組む姿勢が少しでも影響を与えればと願っています。


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会社情報

会社名
株式会社ADHIP
住所
大阪府大阪市西区北堀江1丁目19番1号 八光心斎橋AIRビル6F
電話番号

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