花やしきの歴史
2025-01-09 12:23:14

昭和100年を迎える浅草花やしきの歴史と魅力に迫る

浅草花やしきの歴史に迫る



2025年に昭和100年を迎える浅草花やしき。1931年に誕生したライオンの赤ちゃんや、その豊かな歴史が幕を開けたのは1925年のこと。ペリーが日本に訪れた後、その後の日本文化に多くの影響を与えることとなったこの場所は、もともと「動物園」としてのスタートを切ったのです。

昭和元年、動物園としての始まり


昭和元年、浅草花やしきの入園口には当時珍しいペンギンの看板が掲げられていました。明治19年からは虎や象、熊などの飼育が始まり、大正12年には世界的に珍しい5つ子のトラの誕生が話題を呼びました。動物たちは「猛獣園」と称され、多くの来園者で賑わいましたが、大正12年に発生した関東大震災は、そんな賑やかな日常を一変させました。

被災とその後の復興


関東大震災で多くの動物たちが命を落としてしまい、残された動物たちの運命も過酷なものでした。薬殺という選択を迫られた事例があった一方、生き延びた動物たちを供養するために昭和5年に「鳥獣供養碑」が建てられ、現在も多くの人が手を合わせて訪れます。

復興と動物園から遊園地への転換


震災からの復興が進む中、昭和元年頃の花やしきも新たな展開を迎えました。シマウマや白熊などが新たに飼育されるようになり、昭和6年にはライオンの赤ちゃんが誕生。園内には新たに遊具が設置されるほか、当時注目されていた蓄音機の展示やテレビの実験放送が行われ、動物園は遊園地、科学博物館の側面も持つようになりました。

時代の変化とともに


しかし、このような新たな楽しみを提供していた動物園は、昭和10年にその営業を終了しました。以降、浅草花やしきは遊園地としての姿を強化し、昭和という時代の変遷に合わせた様々な娯楽を提供する場所へと変貌を遂げました。

昭和100年に向けた展望


今、昭和100年を迎える浅草花やしきは、その歴史を基に多くの思い出や娯楽を提供し続けています。過去の出来事を忘れず、未来に向けて新たな楽しさを追求していく姿勢は、訪れる人々に感動と思い出を届けています。今後も「昭和100年と浅草花やしき」に焦点を当て、その歴史を数回に分けてお届けする予定です。浅草花やしきがこれからも歴史の一部を紡いでいくことを期待せずにはいられません。


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会社情報

会社名
株式会社花やしき
住所
東京都台東区浅草2-28-1
電話番号
03-3842-8780

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