丙午の真実を再評価する
2026年に訪れる丙午(ひのえうま)年に向けて、エッセイストの酒井順子が自らの体験を元に、女性たちを苦しめてきた迷信「丙午の呪い」をテーマにした新刊『ひのえうまに生まれて300年の呪いを解く』を1月15日に出版します。この書籍は、ただのエッセイではなく、日本の歴史に紐づく深遠な社会的背景を掘り下げています。
丙午に生まれた女性の運命
60年ごとに訪れる丙午年。特にこの年に生まれた女性たちは、「男を食い殺す不幸の象徴」として忌み嫌われてきました。例えば、昭和の丙午(1966年)には、出生数が前年比で25%減少したと言われています。これは、人々が未だに迷信を信じていたことを示しています。丙午女性に生まれた場合、結婚が難しく、苦しみを味わってきたのです。彼女たちはなくても困らない存在として扱われ、さらには周囲から「気が強い」といったネガティブな偏見を押し付けられることが多かったのです。
迷信の起源とその影響
では、この迷信の根拠は何なのでしょうか? 有名な例では、八百屋お七が好きな男に会うために火事を起こしたという、非常に薄弱な伝説が存在します。しかし、この見解が長年にわたって女性たちに重くのしかかる呪いとなってきたのは、彼女たちの存在が男性社会にとって好ましくないとされたからではないでしょうか。
昭和と明治のエピソード
昭和時代や明治時代にも、丙午女性にまつわる悲劇のエピソードが数多くあります。明治時代には、「丙午心中」といった言葉に代表されるように、結婚に失敗した丙午女性同士の心中事件がメディアを賑わせました。これらのエピソードは、丙午生まれであるがゆえに定められた運命に対する絶望感を反映しています。
文人たちの視点
興味深い点は、著名な作家たちの丙午女性に対する意見です。川端康成は、丙午生まれの女性を「美しい」と称賛している一方で、夏目漱石はその奔放さを批判しています。これは、丙午女性に対する複雑な感情を浮かび上がらせています。彼らの言葉からは、丙午女性がどのように社会的に扱われてきたか、またその影響が現代にまで受け継がれていることが分かります。
鼎談を通じての再評価
本書には、エッセイ集を刊行した俳優の鈴木保奈美さんや、大阪大学の吉川徹教授との鼎談も収録されており、丙午に生まれた自身の経験について語り合います。酒井さんが提唱した「負け犬」という言葉は、意外な形で丙午と関わっていることも紹介されます。
まとめ
酒井順子さんの新刊は、丙午の迷信をただの伝説として片付けるのではなく、そこに込められた人々の思いや背景に真剣に向き合っています。この書籍は、女性の位置付けがどのように社会に影響を与え続けているのかを教えてくれます。300年にわたる丙午の呪縛から解き放たれるための第一歩として、多くの人に読まれることを期待しています。