岐阜県高山市の松之木町で、独特な形を持つ「車田」で田植えが行われました。この「車田」は丸い形をした田んぼで、県の重要無形民俗文化財に指定されています。全国でこの伝統が守られているのは、高山市と新潟県の佐渡島のみという貴重な文化です。
「車田」の存在は江戸時代初期にまでさかのぼるとされ、高山城の三代目城主である金森重頼は、この田んぼを詠んだ和歌を残しています。「見るもうし植(うえる)も苦し、車田の廻々(めぐりめぐり)て早苗とる哉」という彼の表現から、その特異な形状と田植えの難しさがうかがえます。また、「飛州志」によると、かつては伊勢神宮への神供米が作られていたことが記されています。このような歴史的背景がある「車田」は、地域に根付いた大切な伝統文化です。
今年の田植えは5月11日に行われました。厳粛な神事を経て、田植えの準備が整いました。参加したのは保存会のメンバー13人で、伝統的な宮笠を被り、円を描くようにコシヒカリの苗を丁寧に植えていきました。彼らの手によって、田んぼには力強く育つ苗が並べられ、夏の厳しい天候にも耐え、豊かに実ってほしいという願いが込められています。
田植えはただの農作業ではなく、地域の絆や文化の象徴でもあります。高山市のこの「車田」は、地域住民にとっても、また訪れる人々にとっても深い意味を持つものなのです。秋の収穫を無事に迎えられることをみんなが願いながら、作業が進められます。
この伝統文化を守り続けるために、高山市役所の文化財課は、地域の子どもたちや住民への教育活動も行っています。また、観光客にもこの貴重な体験を知ってもらうため、田植え期間中にはイベントが開催されることもあります。
高山市文政6年(1823年)の資料には、これまで変わらぬ手法で行われてきた田植えの風景が描かれており、その様子は今でも多くの人に親しまれています。伝統を守ることの重要性を再認識し、地域の宝を次世代へ繋げることが求められています。田植え後の田んぼは、これから夏の日々を経て、実り豊かな秋を迎えることでしょう。こうした行事を通じて、地域の文化や伝統がしっかりと守られ続けていくことを願っています。
この「車田」の美しさや、田植えを通じた人々の絆の深さを感じられる体験は、地域を訪れる価値をさらに高めます。高山を訪れた際には、ぜひ「車田」を見学し、その魅力を肌で感じてみてください。