消費者法制度の転換期における経済学の役割:情報の非対称性、認知バイアス、そして客観的価値実現

消費者法制度の転換期における経済学の役割:情報の非対称性、認知バイアス、そして客観的価値実現



近年、消費者を取り巻く環境はデジタル化によって大きく変化しており、従来の消費者法制度では対応しきれない新たな課題が浮上している。そのため、消費者委員会では、消費者法制度のパラダイムシフトに向けた議論を活発化させている。

2024年5月24日に行われた第6回消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会では、経済学の専門家である室岡健志氏、黒川博文氏、宮城島要氏を招き、消費者保護の観点から経済学がどのように貢献できるのかについて議論が行われた。

# 情報の非対称性と交渉力の格差:伝統的な経済学の視点



室岡氏は、経済学における「情報の非対称性」と「交渉力の格差」の概念について解説した。伝統的な経済学では、これらの概念は、事業者と消費者の間で保有する情報や交渉力の違いを意味すると捉えられている。

例えば、事業者は商品やサービスの価値をよく理解している一方、消費者はそうではないという状況が情報の非対称性である。また、事業者は消費者に比べて交渉力が強いことから、より高い価格で取引が成立する場合があるという状況が交渉力の格差である。

室岡氏は、これらの概念を踏まえ、経済学から見た消費者保護政策は、消費者を不公正な取引や欺瞞的な取引から守ることであると主張した。

# 行動経済学の登場:認知バイアスと欺瞞的取引



しかし、伝統的な経済学では、消費者は常に合理的な判断を行い、自分の利益を最大化する行動をとると仮定されている。そのため、消費者が欺瞞的な取引に巻き込まれてしまうような状況は、分析の対象外となる。

そこで重要となるのが行動経済学である。行動経済学は、人間は必ずしも合理的な判断ばかりするわけではないことを認め、認知バイアスの存在に着目する。

黒川氏は、ダークパターンと呼ばれる、消費者の認知バイアスを利用したウェブサイトやアプリのデザインについて解説した。ダークパターンは、例えば、購入プロセス最後の段階で追加料金や手数料を表示することで、消費者が本来なら買わなかった商品やサービスを買ってしまうように仕向ける手法である。この手法は、消費者のサンクコストの誤謬という認知バイアスを利用している。

# 客観的価値実現:厚生経済学からの視点



宮城島氏は、厚生経済学という観点から、消費者保護政策を考えることの重要性を指摘した。厚生経済学は、社会全体にとってより良い政策とは何かを検討する学問である。

宮城島氏は、消費者保護政策の目標は、消費者の幸福の実現であると述べた。しかし、消費者の幸福は主観的なものであり、客観的な価値を考慮する必要がある。例えば、消費者は現状に適応してしまい、本来は不当な取引であっても、不幸に感じなくなる可能性がある。

そこで、宮城島氏は、アマルティア・センの機能と潜在能力という考え方を取り上げた。これは、消費によって達成できる機能を重視し、個人が自分の能力を最大限に発揮できるような環境を整備することによって、客観的な価値を高められるという考え方である。

# 経済学の知見を活用した消費者保護:課題と展望



今回の専門調査会では、経済学の知見が消費者保護政策に貢献できる可能性が示された。しかし、同時に、いくつかの課題も浮き彫りになった。

1つ目の課題は、認知バイアスや不確実性といった概念をどのように捉え、明確なルールや規制を設けるかという点である。

2つ目の課題は、消費者教育の効果をどのように測定し、より効果的な施策を展開するかという点である。

3つ目の課題は、客観的価値という概念をどのように定義し、具体的な政策に落とし込むかという点である。

これらの課題を解決するためには、経済学者の知見に加えて、法学、心理学、社会学など、様々な分野の専門家との連携が不可欠である。また、消費者自身も、自分の行動や判断について理解を深め、より賢く消費するための知識を身につけることが重要となる。

今後の消費者法制度は、経済学の知見を積極的に活用することで、より消費者にとって安心安全な社会を実現していくことが期待される。

消費者法制度の転換期における経済学の役割:感想



今回の消費者委員会専門調査会では、消費者法制度のパラダイムシフトに向けた議論が活発に行われた。特に、経済学の専門家3名による発表は、消費者保護という観点から、経済学が持つ可能性と課題を浮き彫りにした非常に示唆に富む内容であった。

特に印象的だったのは、行動経済学の分野における「認知バイアス」の存在が、消費者保護の議論において重要な役割を果たすという点である。消費者は、必ずしも合理的な判断ばかりするわけではない。むしろ、認知バイアスによって、本来は買わなかったであろう商品やサービスを買ってしまうケースも少なくない。

この点は、従来の消費者法制度では十分に考慮されていなかった。そのため、消費者保護の観点から、行動経済学の知見を積極的に取り入れ、認知バイアスを利用した不当な取引を規制していく必要性が改めて認識された。

しかし、行動経済学は、消費者の行動をより深く理解するためのツールである一方で、その知見を政策にどのように活かすのかという点に関しては、様々な課題も存在する。特に、認知バイアスの利用をどのように定義し、規制するか、そしてその規制が消費者と事業者の双方にとって最適なものであるかを検討していく必要がある。

今回の議論を通して、消費者保護は、単に法律や制度を整備するだけでなく、消費者の意識改革、事業者の倫理観向上、そして経済学など様々な分野の知見を総合的に活用していく必要があるということが改めて認識された。

消費者法制度は、常に変化する社会状況に合わせて進化していく必要がある。経済学は、消費者保護という課題に対して、新たな視点を提供し、より良い社会の実現に貢献する重要な役割を担っている。

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