横浜の海と街の物語をたどる「私のMM史 水辺のみなとみらい四半世紀」
「ヨコハマ海洋市民大学実行委員会」は、2024年7月4日、横浜の海と街の歴史をテーマにした講座「ヨコハマ海洋市民大学2024年度第2回講座 私のMM史 水辺のみなとみらい四半世紀」を開催しました。
この講座は、次世代へ海を引き継ぐための活動「日本財団『海と日本プロジェクト』」の一環として開催され、横浜の海が抱える社会課題を解決できる市民を育成することを目指しています。
今回の講師は、横浜界隈研究家の河北直治さん。横浜路上観察学会の主催者でもある河北さんは、歴史資料だけでなく、実際に街を歩き、歴史の痕跡を探る活動を行っています。
水辺から見た横浜の歴史:開港から現代まで
講座では、受講生にみなとみらいの歴史をまとめた資料が配布され、横浜の歴史を紐解いていきました。
まず印象的だったのは、横浜は開港以来、多くの災害や歴史的出来事によって街がリセットされてきたという事実です。関東大震災や空襲はもちろん、米軍による接収など、横浜は他の都市とは異なる歴史を歩んできました。
講師は、横浜の発展を「水の視点」から考えることの重要性を説きました。例えば、開港場となった関内地区は、かつて水源地であり、ペリー率いるアメリカが上陸し、外交交渉を行ったのも、水を得られたことが重要だったと語ります。
また、横浜は平地が少ないことから、海を埋め立てて街を拡張してきた歴史も紹介されました。明治時代以降、横浜は鉄道と造船を優先した政策のもと、港湾施設や街を拡大し、京浜工業地帯へと発展していきました。
みなとみらいの誕生と課題
戦後の混乱を経て、横浜がさらに発展していくために、飛鳥田市長時代に策定された「横浜六大事業」が紹介されました。みなとみらい地区は、この六大事業の一環として誕生したもので、横浜駅周辺と関内周辺を臨海部で繋ぐというコンセプトのもと、開発が進められました。
しかし、みなとみらい地区は、鉄道や高速道路によって海側と山側が分断されている現状や、親水性の不足など、課題も抱えています。
講座では、これらの課題について議論され、受講者からは「みなとみらい地区の役割を初めて意識した」「ヨコハマ路上観察学会にも参加してみたいと思った」などの感想が寄せられました。
海との共存を目指して
「ヨコハマ海洋市民大学」は、今後も様々なテーマで講座を開催し、受講生が海への関心を深め、自分自身の行動に繋げていくことを目指しています。
講座の最後には、受講生、講師、スタッフが会場の外に出て、「水辺で乾杯!」を行い、海と街の未来について語り合いました。
横浜の海と街の歴史を学び、課題を知った受講生たちは、それぞれが海との共存に向けて、どのようなアクションを起こしていくのでしょうか。今後の活動に期待が高まります。