鼻療顆粒の歴史
2019-01-26 09:44:13

大正時代から愛され続ける鼻療顆粒の歴史と思い

大正時代から愛され続ける鼻療顆粒の歴史と思い



アレルギー性鼻炎をはじめとする鼻のトラブルに悩む人々に寄り添ってきた治療薬「鼻療顆粒」。本薬の歴史は大正時代まで遡ります。近代医療が未成熟だった当時、創業者・建林宰亮氏は鼻を患う多くの人々のために、新たな処方の開発に着手しました。

歴史的背景と誕生の経緯



1919年、社会がまだ安定していない状態で国民は鼻をすすりながら日々を過ごしていました。このような状況を見かねた宰亮氏は、「国の繁栄は”鼻”から」という理念のもと、人々が快適に生活できるよう支援するための薬を作ろうと決意します。彼の発想は「日本には資源がない、頭脳で勝負だ」というもので、そこで漢方中の古典に目を向けました。

彼が考慮したのは、日本人が抱える胃腸の弱さや湿気の多い風土です。この特性を生かした鼻療が、誕生となりました。また、現代においてもその風土や体質に変わりはなく、多くの人々に感謝され続けています。

処方の独自性と進化



鼻療は、中国で誕生した古い処方「麗沢通気湯」を基にしています。その中で、効果的な生薬の選定を行い、日本自主の体質に合うように調整が施されました。マオウとカンゾウを除外し、新たにニンジンとビャクジュツが加わることで、より安全で効果的な形に進化してきました。

その結果、建林松鶴堂の鼻療は、100年以上もの間、アレルギー性鼻炎や鼻づまり、頭の重さなどに苦しむ人々の治療薬として広く認知されてきました。処方の豊富さとその独自性は、特に他国には見られないものであり、各地の患者様から高い支持を受けています。

漢方薬の重要性



建林宰亮氏は西洋薬の助けなしに自身の病を克服した経験から、東洋の医学の重要性を再認識しました。これが、学生や患者に対する漢方の普及に繋がり、様々な日本独自の処方方法が開発されてきました。今日では、120種以上の処方が用意されており、その大半がオリジナルのものです。

100周年を迎えたキャンペーン



2019年、建林松鶴堂は創業100周年を迎え、東京上野本店では特別キャンペーンを実施しています。この機会に体質改善を考える方々に向けて、長年の経験に基づく無料の体質お見立てを行っています。さらに、先着で鼻療をご購入いただいた方には、記念品やサンプルをプレゼント!

終わりに



大正8年の創業以来、建林松鶴堂は鼻療を通じて日本人の健康を支え続けてきました。その歴史はただの薬の歴史ではなく、多くの人々の生活の質を良くするための挑戦の歴史でもあります。今後も鼻療が新たな挑戦とともに多くの人々に寄り添い、助けとなることを願っています。

会社情報

会社名
株式会社 建林松鶴堂
住所
東京都台東区東上野4-3-1建林松鶴堂
電話番号
048-441-4261

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