『フライングフェザー』が日本自動車殿堂の歴史遺産車に選出
住江株式会社が製造した軽自動車『フライングフェザー』が、特定非営利活動法人である日本自動車殿堂の歴史遺産車に認定されたことが発表されました。この選出は、日本の自動車産業に大きな影響を与えた名車であることを証明しています。
フライングフェザーとは?
『フライングフェザー』は、戦後の日本において、当時の自動車産業の製造技術やデザイン哲学を反映させた重要な車両です。この自動車は、住江製作所が当時の設計者で元日産自動車の社員である富谷龍一の手によって形作られました。
この車の構想は、戦前からの会話に端を発しています。片山豊は、昼休みに横浜港を飛び交うカモメを見ながら、誰もが軽やかに走れる小型自動車を夢見ました。この構想を具現化するために、片山は富谷を訪ね、自身のアイデアを実現するように依頼しました。富谷は、そのまま手近な紙にスケッチを描き始め、ホイールを四隅に配置しエンジンをリアに置いたシンプルかつスポーティな二座席の自動車が形を持ち始めました。
日本車の未来を見越したデザイン
フライングフェザーのデザインは、当時の日本において先進的で、特にそのシンプルさが際立っています。1953年の全日本自動車ショウで初めて展示され、翌年には一般公開されると、注目を集めました。設計者の「最少の資材と燃料で事足りる自動車を」という思想は、環境に優しい自動車の概念を前もって示しており、未来のモータリゼーションの到来を感じさせるものでした。
しかし、フライングフェザーはその革新性のために商業的な成功には至らず、約200台の生産に留まってしまいます。その独特なデザインや発想は、時代に先駆けていたために広く受け入れられることはありませんでした。それでも、この自動車が持つ未来への展望は、1960年代の軽自動車ブームの礎を築くことになったのです。
継承される企業精神
『フライングフェザー』は、住江製作所にとって、リスクを恐れず新しい分野へ進出していく企業精神を象徴する存在と言えるでしょう。その精神は今なおSUMINOE GROUPに引き継がれており、これからも新たな挑戦によってイノベーションをもたらすことを目指しています。
この名車の選出を契機に、私たちは自動車産業の歩みを振り返り、その中で磨かれてきた技術と思想を再評価する必要があります。
まとめ
フライングフェザーの選出は、ただの歴史的な評価ではなく、未来への指針をも示しています。当時の技術者たちの情熱と夢が形となったこの車は、単なる移動手段以上の価値を持ち、私たちに革新の重要性を教えてくれます。今後もSUMINOE株式会社の挑戦には、期待が高まります。
詳しい情報は、
SUMINOE株式会社の沿革や
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