天正遣欧少年使節
2023-04-27 10:00:02

天正遣欧少年使節の壮大な旅とその歴史的意義を探るプロジェクト

天正遣欧少年使節の壮大な旅とその歴史的意義



天正遣欧少年使節は、織田信長の時代において日本の若者たちが大海を渡った歴史的な出来事です。日本の若者たちが長崎を出航し、喜望峰を回ってヨーロッパへと向かった背景には、当時の政局が反映されています。その使命は大友宗麟や有馬晴信、大村純忠などの名代としてヨーロッパに日本を紹介することでした。この一団には、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルティノ、中浦ジュリアンの4人の少年が含まれていました。

本プロジェクトの目的は、この歴史的な旅を写真集としてまとめ、文化的景観に基づいてその経験を再現することにあります。彼らはポルトガル、スペイン、そしてローマと、各地で驚異的な歓迎を受けながら人と文化の交流を繰り広げました。特に、1585年3月には教皇グレゴリオ13世に謁見し、その様子はヨーロッパ諸国において大きな注目を浴びることとなります。

彼らの旅は決して容易ではありませんでした。航海中には自然の厳しさに直面し、健康を害することもありましたが、1584年8月にはリスボンに到着します。彼らはここでスペインの王フェリペ2世などの国王や領主からも温かく歓迎され、ヨーロッパの人々に深く感銘を与える存在となりました。少年たちは、その知性と品格で単なる異国の使者ではなく、文化交流の担い手としての役割を果たしました。

その後、彼らはローマに移動し、教皇との面会に臨みます。一人一人が抱きしめられるという幸せな瞬間を経て、少年たちは帰国の途につきます。しかし、帰国後の日本ではキリスト教弾圧が進み、彼らの栄光の時代も終わりを迎えることとなります。1586年4月12日に出発し累積8年半の旅を経て1590年7月に長崎に戻ります。その後、豊臣秀吉に謁見し披露した西洋音楽は彼を喜ばせましたが、少年たちの運命は今や暗転してしまいます。

本書は天正遣欧少年使節の全容を理解するための貴重な記録です。旅立ちの背景、航海の詳細、そして帰国後の影響に至るまでの様々な資料が含まれています。このプロジェクトを通じて、当時の少年たちがどのようにして西洋の文化や技術を日本に紹介し、その後の日本社会に影響を及ぼしたのかを掘り下げることが目指されています。

また、本書は日本語と英語を併記し、世界中の研究機関にも配布される予定ですので、歴史的な価値が広く認識されることでしょう。天正遣欧少年使節の旅は、文化交流の始まりを示しており、今もなお私たちに語りかけています。彼らの勇気と知恵は、400年を経た今も新しい資料の発見によってその意義を再認識されつつあります。

本書の概要


本書では、少年たちの旅に関する様々な資料を収録し、彼らの経験や学びの軌跡を追います。発行予定日は2024年5月末、304ページにおよぶカラー写真が満載の作品です。限られた部数での販売となりますので、ぜひお早めにご予約ください。

実行委員会


このプロジェクトは天正遣欧少年使節記録図譜刊行委員会が主導しており、上智大学名誉教授の髙祖敏明氏が実行委員長を務めています。国際的な視点からの研究と資料提供が進められ、少年たちの偉業を後世に伝える活動が行われています。

会社情報

会社名
天正遣欧少年使節記録図譜刊行実行委員会
住所
神奈川県鎌倉市小町2-14-7
電話番号
0467-25-2864

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