地鶏『土佐ジロー』
2024-10-21 11:55:24

創業20周年を迎えた高知県の有名地鶏『土佐ジロー』の物語

高知県の地鶏『土佐ジロー』、20周年の軌跡



有限会社はたやま夢楽が高知県の地鶏『土佐ジロー』で実現した六次産業化のストーリーが、今年で法人化から20周年を迎えました。この小さな会社が、限界集落である畑山でどのようにして地域振興を図り、苦難を乗り越えてきたのかを探ります。

限界集落での挑戦



はたやま夢楽の本拠地は、高知県の南東部に位置する太平洋から約20km内陸の畑山という集落です。この地域は、千年以上の歴史を誇り、江戸時代からは約800人が暮らす豊かな集落でした。しかし、昭和以降の市町村合併や木材の輸入自由化などの影響で住民が市街地へと流出し、現在の住民数は20人にまで減少しました。

この集落の隅に位置するのが、はたやま夢楽の会長・小松靖一さんの育った故郷です。靖一さんは、地域で人々が生活できる産業を育てたいという思いから、1987年に地鶏『土佐ジロー』の飼育をスタートします。彼の情熱が土佐ジローを通じて地域の活性化を目指す旅の始まりです。彼は、大工から事業家へと転身し、食鳥処理や食肉加工も手がけるようになりました。

法人化を果たした2004年には、畑山の唯一の交流施設が閉鎖されるという危機に直面し、地域の交流拠点を維持するための道を選んだのです。その命名には、かつての畑山村の名残が込められ、かつての賑わいを取り戻そうとする強い意志を感じます。

進化する宿と土佐ジロー



そんな状況の中、彼らの宿『ジローのおうち』がスタートしました。宿を利用することで地域の活性化を図り、集客を目指します。有名となったのは、土佐ジローの親子丼とコース料理ですが、集客は一時的なものにとどまらず、現地の魅力をより深く感じてもらえるように工夫されました。炭火焼の皿鉢盛りが提供される中、各部位の焼き方も工夫され、より多くの人々がリピーターとなりました。

さらに、2022年には2室だけの小さな宿もオープンし、完全予約制で個室でのくつろぎを提供。初年度に約1,800人が宿泊し、他にも多くの客が訪れるようになりました。リピーターの存在が事業を支えてくれたのです。

苦難の連続



しかし、喜びの裏には多くの困難も存在しました。2018年には、食鳥処理施設からの突然の退去要請を受け、西日本豪雨で集落が孤立してしまいます。それでも、ファンの支持を受けてクラウドファンディングを利用し、事業を継続。2020年のコロナ禍においても、商品の購入を通じてファンからの支えを受けることで乗り切りました。

志を同じくする仲間や応援者が増えていく中、次第に宿や肉の生産に注力するようになります。日々の努力が実を結び、土佐ジローの魅力を広める体験を重視した活動へと邁進しました。

本物の地鶏の魅力



『土佐ジロー』は、高知県が開発した地鶏であり、特異な味わいが特徴です。飼育には手間がかかり、鶏を鶏らしく育てる努力が重ねられています。優れた肉質を保つため、自然環境を大事にし、飼育法を工夫しました。実際に、「まるでジビエ?」という評価も得ており、その肉質の良さは多くのメディアでも取り上げられています。

地元の力を感じる



靖一さんの夢は、畑山に暮らす人々が生き生きとした未来を築くこと。地元の食文化を伝え、土佐ジローを通じて地域の魅力を発信できることに誇りを持っています。彼らの物語は、ただの生産者の枠を超え、地域活性化の一端を担っています。今後もその活動は続き、多くの方々に愛され続けることでしょう。

未来への展望



はたやま夢楽の20年は、地域とのつながりを大切にし、人々と共に歩んできた歴史です。厳しい環境の中でも、志を持ち続けてきた彼らの姿勢は、これからの時代にこそ必要とされるものなのかもしれません。これからも土佐ジローを通じて、地域の魅力を世界に発信していくことでしょう。私たちもそんな彼らの影響を受けて、新たなライフスタイルを築いていけたらと思います。どうぞ、土佐ジローの物語を、そしてその味わいを、ぜひ体験してください。


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会社情報

会社名
有限会社はたやま夢楽
住所
高知県安芸市畑山甲980
電話番号
090-4787-0413

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